<おむすびとともに>    作者 月猫

●その1
 学生の頃は50ccでエンジン機構を楽しみつつ満足していました。
 ある日、エンジンを回しまくって山の斜面(峠とも言う)を友人のTS50とともに登っておりました。
 と、背後からけたたましい音とともにあっという間にバイクが駆け抜けていました。
 それは確かRZ350、格好いい!!と一目惚れ。

 そのバイクに乗るために、中免を取るのだとバイトに明け暮れたのでした。
 紆余曲折で中免を取ったものの、バイクまで買うことができず、悶々としていました。

 ある日、学校の先輩から乗らなくなったバイク(故障中)をただであげると言うことでついて行きました。そのころは自分で言うのもなんですが、故障車を修理する知識は一通りついていましたので楽勝と思っておりました。
紹 介されたバイクは29L初期型赤黒、程度は良さそうですがざっと見たところ、タンク内サビ、タイヤマイナス山(カーカスが。。)おきまりの片肺。
 でも、RZ350の後継機(YPVSも付いている)ということで、ビール券1万円と引き替えに我が家に自走してきました。
 片肺とは言え、初めて乗る250ccのバイク、これが本調子になったらどんなにすごいだろう。。にやけながら走った記憶が残っています。

 サービスマニュアルはすぐに手に入れたものの、パーツリストまでは入手できずにいました。とりあえず、交換部品や修理用品を入手すべく洗い出し、バイトしてはヤマハのパーツセンターに買いに行くの繰り返し、せこい金額で毎月買う内(そのころお店に現れるのは殆どがバイク屋)にパーツセンターのオヤジとも仲良しになりパーツリストをただで貰う(コピーですが)精一杯の笑顔でお礼を返したような記憶もあります。
 順調に直っていき、片肺も直り、陸運で登録も済ませ、さあ、試乗だと言うことでパーツと工具を載せ、一路近くの大学まで走りました。(故障箇所は多くてかたり尽くせません)(笑)

 超、ドキドキでしたね。そこで加速の虜になった訳です。
 50ccと全然違う!(当たり前と言えば当たり前ですが)

 帰りにトラブル発生です。エンジンはかかるが上が回らない明らかに失火してる。
 その場で積んで来た工具とパーツを出してお店を広げました。
 暗くなるまでにはと考えて居たのですが結局直らず、アイドリングを最大まで上げ意気消沈しながら帰ってきました。
そ の後、たまに乗ると調子が良かったり、悪かったりと機嫌が180度変わるので約半年もの間原因がわからず相変わらず原付に乗りながらずっと原因を考えていました。
 結局CDIのパンクを疑いためていたバイト代をつぎ込み買いましたよ。
 既に一番売れた1ARが販売されてきた頃なので高かった。。
 消費税も無いのに3万円ぐらいした記憶が。。

 これで直らなかったら。。一抹の不安を抱えつつつなぎ直して始動。
 今日は調子が良さそうだ。。。。次の日もその次の日も調子がいい。
 直った。
 おむすびライフの始まりです。乗った乗ったの5万キロ、ツーリングもちょい乗りもどこに行くにもRZR赤黒、そのころはもうこの形は全然見なくなってしまいました。
 世の中はレーサレプリカの全盛期。
 峠では勝ち目がないのでツーリングの毎日でした。


●その2
 社会人になり、他のバイクにも多少浮気はしました。
 RZR改造の足回りとして購入したFZR400。
 ちょっと直して乗り回していました。もともと部品取りだったので私的にも扱いが荒く、レプリカのくせに秩父の山奥林道を走ったり結構むちゃくちゃしてました。(対抗のオフ車が止まって不思議そうにみてました)

 教訓:レプリカで林道は走らない方が良い。ぬかるみでオーバーヒートしそうになり
 アンダーカウルには砂利や草のおみやげ付きになります。ケツも痛い。

 結局、FZRはつぶしてしまい。CBR400Fにも乗ったし(ここで初めて盗難に遭う、暴ヤン仕様で帰ってきました)、林道に目覚めDRにも乗った。
 今は無免許になってしまいますが当時は条件違反、友人のCB750FやV−MAXに乗るも面白くない。NSRにも乗りましたが誰が乗ってもそこそこ早い優等生過ぎるバイクは面白くない。(簡単に寝て曲がる。バイクを操るというよりもバイクが自分で走るという感覚)

 最後はRZRに戻ることになります。

 学生のころとはお金の使い方が違い、お大尽ぶりを発揮。
 エンジン周りの改造に走ります。

 既に250ccシリンダーでは限界に来ており(走りすぎだっちゅうの)、あこがれの350シリンダーを組み込み、排気吸気系はミハラで完成です。

 これでNSRと思いながら。。。セッティングを進めていました。
 トルクが太り、更にパワーバンドが上に出現。
 回せる楽しい乗り物になりつつありました。
 しかし、ココで嫁になる前の嫁の出現。

 当然、RZRとの付き合いは減りので乗る機会も減りセッティングデータも無くしてしまう有様。
 なんとか一応の完成はしましたがツーリングには使えないドッカンバイクになってしまいました。恐ろしいほどに上が回せない。

 それから幾月も流れ。

 ある日、タイヤもおニューに履き替え、電話して。。。楽しい思い出になる予定が記憶はそこまでで、気が付いたら病院のベットの上でした。

 はじめは単独事故かと思いつつ、ベットサイドを見るとぐちゃぐちゃの自分のヘルメット。ヘルメットに感謝しつつ、その横を見ると真新しいヘルメットが。。
 げっ?!

 そういえば、その日は、嫁となる前の嫁との生まれて初めてのタンデムラン。(彼女は乗せない主義だったのですが。。。)
 横に彼女の姿はなく、一気に血の気が引いたのは言うまでもありません。

 しばらく時間が過ぎた後、そこへ彼女のご両親とともに彼女の登場です。
 軽い打ち身で済んだらしくホッと一息なのですが実はお父様とは初対面。
 大変気まずい雰囲気の中、時間だけが流れていくのでした。

 未だに事故のことはまるっきり記憶がありません。
 嫁の話だと、出会い頭に4トンとぶつかったとの事です。
 双方減速中だったらしいのですが私は大けが、嫁は軽傷で済んだのが幸いでした。

 しかし、ぶつかった後、私はしばらく失神していたらしいのですが救急車到着時には意識が戻り、トラックの運ちゃんに文句を言い、その足でよろめきながら救急車に乗り、減らず口を叩きながら病院まで徒歩で入ったそうです。
 診察中も運転手に文句を言いながら治療されていたとのこと(看護婦証言)

 でも、電話で嫁を呼びだし〜病院のベットの上でお父様とご対面まで記憶が有りません。丸12時間近く記憶がすっぽり抜けています。ただし、その間意識はあったようで友人や自分の父親や会社の上司には連絡を入れています。(自分では初めて電話したつもりだったのだが、みんなから2回目だと言われた)。
 後遺症は残らなかったのですが、記憶力は悪くなったような気がします。
 RZRの修理方法を忘れたりしてます。。。

 事故は怖いですからみなさん気を付けましょう。

 数ヶ月後、愛機を見に行くと案の定、フロントフォークは折れ、タンクは凹み、ハンドルは折れ、フロントタイヤは曲がり、フロント周りは壊滅でした。(メータは中身が無かった)。

 エンジンはとりあえずかかったのでなじみのバイク屋に引き上げてもらいました。
 ここで通常なら修理となるのですが。。

 嫁のとのこともあり、バイクを降りる決心をしました。
 RZRは廃車予定でしたが友人の好意で乗って貰うことに決まり出来る限りの修理をした後、自分の手で送り出しました。

 走り去っていくトラックの後ろに乗ったおむすびテールを見ながら、カッコ悪いですが、泣きましたね。
 付き合いでは一番長いバイクで約10数年、思い出もいっぱい詰まっていたバイクでした。

 で、紆余曲折もあり今はRZ350RRに至ってます。
 間飛びすぎですが、長くなりますのでまたの機会に。。



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