'86頃 投稿者:1009  
 バイクブーム真っ盛りだったこの頃、福岡に在る大学に通っていた私は貧乏学生・・・懐に余裕など有る訳も無く解体屋で買ってきたパッソルに乗っていました。
 ゴミ捨て場に捨ててあった事故車のJOGのエンジンを載せてブレーキシューをデイトナに変え、リアサスをカブ用に変えてヒップアップにしてネコ峠(字は忘れました)にいそいそと通っていました。

 その当時ネコ峠のNo1、2は赤白のマルボロカラーと蛍光オレンジ白のマルボロカラーに塗ったRZR(29L)でした。フルバンクで見える腹下のチャンバー膨張室、揺れるシングルシートカウル、立ち上がりのチャンバー(イシイ)の音、遠ざかっていくオムスビテール・・・目に焼きついて消えることが在りませんでした。
 当時アパート代と画材代、生活費でいっぱいいっぱいの中からパッジョグのガス代だけはひねり出して(当時としても月6万円という仕送りは少ないほうでした)いた私としては自動2輪などはとても手が届くはずも無く、いつかは・・・って思っていました。

 そんなある日、友人から友人の兄がバイクを売りたいと言ってると、写真を見せてくれました。何気に診てみるとパールホワイト&スカイブルー、アンダーカウル付の輸出カラーの29Lでした。
 貧乏も忘れてその場で「買います!」と叫び、「必ず買うから夏休み明けまで待ってくれ。」と頼み込み何とか売約を取り付けました。
 それから約2ヵ月後、朝の8時から夜10時まで毎日バイトした金を握り締め友人宅(浜松だったのでこの日が実車を見るのは初めて)へ、バイクトラックに載せていると「ほかにもパーツがあるから」と友人が・・・持ってきたのはシングルシートカウル&タンクバック・・・!なんとフルオプション使用だったんです!!。

 あの時から18年、最初に買ったRZRを事故で廃車にしてから6ヶ月間RZRを所有して無い期間があっただけで、RZRのいない生活をおくった事が有りません。
 ちなみに今使っているタンクバックは初代から使い続けているもので、18年分の思い出がぎっしり詰まっています。

 これからも末永くこいつ(RZR)と付き合っていこうと思います。



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